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江川達也氏のFB より「金玉均と徐載弼」明治時代の朝鮮事情

江川達也氏のフェイスブックのタイムラインより


江川 達也
8月13日 13:09 · 東京都 渋谷区 ·

金玉均と徐載弼。
金玉均は朝鮮半島の志士だった。
はじめて、来日したのは、朝鮮通信使としてだった。
朝鮮半島も近代化し、独立しなくては、西洋列強の植民地になる。との危機を抱き明治17年に甲申事変を起こした官僚だった。
その時金玉均と共に戦ったのが若き徐載弼だった。
金玉均と徐載弼は日本に留学し金玉均は福沢諭吉のもとで学ぶ。徐載弼は日本陸軍で学んだ。
福沢諭吉(空論が多く実践が追いつかない教育家)は、金玉均を支援するが、金玉均の甲申事変は朝鮮半島での日本軍の支援が充分でなく、強烈な大清帝国軍の現地指揮官の袁世凱の攻撃で失敗に終わる。
金玉均と徐載弼は日本国籍の船舶の船長の男気に救われ、朝鮮半島から逃走したが、甲申事変にかかわった者達の親戚縁者はみな殺されてしまった。
朝鮮半島では、親戚縁者が一つの排他的集団を形成し栄枯盛衰を共有しているため(現在もその風習が色濃く残ってはいる)何かの犯罪があると、その犯罪者の家族や親類が大きな刑罰を受けるのだった。
金玉均は日本で再度朝鮮半島の独立(大清帝国からの独立、実は朝鮮半島は大清帝国の半支配下にあった)近代化をねらっていたが、(その頃は福沢諭吉は、朝鮮人に独立の能力はない。と思い始めていた。一回失敗したからといってそれはヒドい話ではあるが。福沢諭吉はそういう気の小さい男ではあった。支援を続ける日本人はいた。)大清帝国の李鴻章に騙され上海で暗殺されてしまう。
金玉均の遺体は朝鮮半島に送られ、体はバラバラにされ、見せしめの為に、街道に晒された。
まあ、朝鮮半島で権勢を誇る朝鮮王の妻「閔妃」の親戚縁者の閔一族にとって金玉均に続く者が現れることは自分達の権勢が危機に陥ることを意味するため、見せしめは当然だろうが、まあ、朝鮮半島は、そのような風習が続いていたためそういう刑罰になったのであろう。
閔妃の一族も苦悩したようで、壬午軍乱(明治15年)までは、日本についてみたり、日清戦争までは大清帝国についてみたり、日露戦争までは、ロシアについてみたり、くるくると方針を変えながら、どうにか自分の権勢の維持に腐心していた。
徐載弼は、甲申事変の後、アメリカに行きアメリカ人医師となるが、日清戦争が終わり、朝鮮半島から大清帝国の影響が消え、日本が朝鮮半島の独立を支援する形になったので、アメリカから帰国し、朝鮮半島の独立と近代化のために動き始める。独立新聞を発行し、独立協会運動を支援した。日本が近代化を行った方法をトレスしたものではあったが、有効な近代化の方向だった。
日清戦争から日露戦争までの間が、朝鮮半島の大きな機会ではあったが、日露戦争以降、状況は朝鮮半島独立から日本との合併へと動いていく。
大韓帝国という独立国は、10年程度の命だった。
日露戦争は日本の勝利だったが、ギリギリの勝利だった。
ロシア帝国(その後のソ連)の南下はアジアにとって最大の命題だった。
大清帝国(支那地域)の近代化の遅れもまたおおきな問題であり、朝鮮半島の近代化の遅れも苦しい問題としてのしかかっていた。(日本は江戸時代にすでに西洋の未来を行っていたので近代化「西洋列強に応戦可能な社会変革」は明治十年で終了していた。
明治初期、イタリアはサルジニアを中心にして諸国が合併した国であり、ドイツもその頃、プロシアを中心にして諸国が合併した国だった。
日本も薩摩と長州を中心にして日本列島の諸藩(諸国)と徳川家臣団を合併した国であり、明治維新とは、小国の合併だった。
イタリアやドイツの合併は他の西洋列強との対抗で行われた。
日本も同様である。
明治初期に西郷が「征韓論」を唱えたり、自由民権運動が大陸との戦いを求めたのも、日本列島だけの合併だけで維新を終わらせるのではなく、大陸や東南アジアとの合併も意図した「大維新」「大アジア国」「大日本帝国」の流れだった。
それは、ヨーロッパの「大ドイツ」「大イタリア」とも時期的に呼応するものだった。「維新」をどこまで広げるかでは議論は分かれたが、大統合をはからないと西洋列強の攻撃に耐えられないことは誰もがわかっていた。
朝鮮半島との統合に関して、日本人でも意見はわかれたように、朝鮮半島(大韓帝国)の中でも意見は分かれた。
それは、日本が慶応から明治に変わる間に諸藩でわかれた意見と似たものがあった。
それ以上に朝鮮半島の人から見れば、日本との合併は魅力的だっただろう。
すでに、日本は日清日露戦争に勝利(辛勝ではあったが)しているのである。
それまでの李氏朝鮮、大韓帝国のヒドい搾取は、朝鮮半島の人々がまともな精神を維持することさえも阻害していた。(今でもそれが残ってるけど)
大正昭和前期に、石原莞爾は、朝鮮民族に独立心を持ってもらおうとして努力していたが、どうも李氏朝鮮時代の過酷な搾取によってなかなか自立した感覚を持つよう教育することが困難だということを書いている。(それでも工夫して徐々に心の自由を持つようになったみたいではある。)
ドイツ(プロシア)にとって併合された周辺国は文化的に差が少なくまあまあ幸福だっただろう。(比較でしかないが)日本にとって併合した朝鮮半島は文化的な差がありすぎて、苦難が一杯だった。強烈な一族の支配や、他の人々に対する強度の搾取、怨嗟や虚偽申告は、合併した日本に統治の過酷さを要求した。朝鮮半島での統治は、穏健な統治より武断統治のほうが安定したとの報告もある。李氏朝鮮時代が大清帝国の横暴、朝鮮王朝の理不尽さで長く継続したという事実も関係なくはないだろう。
覚えておかなければ行けないのは、今でも、支那や朝鮮半島では、大清帝国や李氏朝鮮時代の感覚(悪い部分だけを指してます)を引きずっている人が何人かいらっしゃることだ。その嘘と理不尽を真に受けて土下座する人がいるのか。という記事。
因みに徐載弼は日韓併合の頃には、アメリカに戻り、何と、大東亜戦争後(昭和20年以降)に韓国に戻り、もう一度、韓国再建のために働こうとしたが、ほとんど影響力を発揮することもなく去った。と記憶している。
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